積み木の教室中の写真撮影について思うこと(雑記)

こんにちは。

積み木の活動中に、写真撮影を行うことがあるのですが、広告に使わせていただいたり、活動報告をするのに非常に重要です。ご協力いただいている皆様には本当にありがたいと思っています。

写真撮影に気がまわらない時もあり、写真が少ない日もあるのですが、そこに追われる自分にちょっと疑問があり、「写真撮影」について記しておこうと思います。

まず写真をとる理由としまして、活動中の様子を保護者に伝えたいという点と、集客・広報活動というこの2点があります。
集客をする上で、文字だけの表現より、写真があると圧倒的に伝わりやすいです。なので写真、写真撮影は本当に大切です。


ですが、デメリットも多く感じます。

デメリット1
目的のために、「写真の良し悪し」を気にしてしまうこともあります。

写真のために背景を綺麗にしたり、崩れているところを修正してもらったりと、とにかく「見栄え」を気にする結果になっています。これは本当につまらない作業だなと正直思います。後述しますが、この「みばえ」精神は知らず知らずのうちに子どもに根付いていきます。

デメリット2
シャッター音で気が逸れる
写真撮ってるな、と気にする子、気にしない子様々ですが、カメラの写りを確認する子もたまにいます。それによって手が止まるのはデメリットでしかないです。

デメリット3
「写真とって」という子どものセリフを考える。
作品をとって〜という子どもは多いです。自分も一緒に映るケースもあれば、作品だけ撮ったり、まるでYoutuberのように実況をする子もいます。壊したくない作品を「写真撮っておくからね」と宥める方法、私も常套手段です。。でもなんだか、この「写真とって」という言葉がどうも引っかかって、言語化できないモヤモヤがあります(そのモヤモヤを探す旅にでます 笑)

私の現段階の考えは…(これからまた変わるかもしれませんが)
「写真、作品」を通して自分を評価している、作品を他者に自慢したい。
自慢したいという初期衝動が先にあって、作品を作ることにならないか、私はちょっと心配。
特に、母子分離クラスでは「後でお母さんに見せたいから」という思いで、「撮っておいて」と言われることがありますが、その奥に「褒めてもらいたい」という気持ちがあるのでは?と思います。
もちろん、「褒めてもらいたい」、この気持ち自体は悪いものではないです。
ですが、本当の芸術活動、創造活動って「自分のため」に行うことだと思うのです。

とはいえ、もうすでにある気持ちを否定はしません。子どもだってそれぞれです。
通う理由だってそれぞれです。



私が伝えたいことは、芸術活動を心から楽しむ精神は、カメラ越しで伝えようとすればするほど、遠のき、子どもたちに「みばえ」ありきの精神が知らず知らずに根付いていくということです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
これだけ、写真文化(というのかな)スマホ文化が進んでいるのに、
こんな文章を読むのはちょっとムッとしたりしんどかったりあったと思います。

私自身、積み木の活動、写真はぜひ1冊のフォトブックにまとめていくと、
後ですっごい思い出になるよ〜!と言いまくっているので・・・笑

まだまだ言語化出来ていないところもありますが、
今後の自分の方針としては、写真をとる時間は、活動終了時や、キリがいいところ、活動を切り替えるタイミングなどにしようと思います。写真の代わりに、言葉できちんと保護者の方に伝えていけたらと、気持ちを新たにしているとことです。

この記事は、私が活動の中で、カメラをやめるという決意です。
レンズを通さなくても、みんなを見ているよ、作品の良し悪しじゃない、創造活動にダイブする経験を、実現する場所でありたいと思います。

ってここまで書いて思ったこと。
子どもにカメラを渡す方が楽しそうだと思うんだ!
インスタントカメラなんて、見たこともないんじゃないかな 笑
よし、これはぜひやろう。

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