2022年12月7日 投稿者: hitomi

好きなことが自分を伸ばす。(雑記)

こんにちは。雑記です。

先日とても心を揺さぶられること(っていうか疲れたこと?)があったので、
その衝撃を忘れないうちに書きます。
(この文章は、忘れないうちにその日のうちに書きました。でも
時差投稿することにしました)

眼科の待合室でのことです。
たまたま隣に座っていた高校生くらいの親子さん。

学校で怪我をしたのか、養護の先生らしき人と生徒が先にいて、
後から母親が駆けつけた様子だったんですけど、
しばらくして、先生が学校に戻りますと言って帰ったんです。

で、親子2人になって、診察を待っている状況に私が居合わせていたんですが。
まぁそのお母さんの態度にドッと疲れてしまった。

「先生行っちゃたね。もう少し様子気にしてくれてもいいと思うんだけど」
から始まり、
「この眼科は評判が悪いから連れてきて欲しくなかった」
(受付に聞こえてますって…)
「あなた(息子さん)一人でも別に大丈夫なはずだけど」
「そもそも何をしたら目をぶつけるの」
「あ〜雨が降ってきた。傘を教室に置いてきた?どうして出るとき持たないの」
(そりゃ慌てて車に乗せられて出てきたんじゃないかな…)

こんな会話がノンストップで続き、息子さんの返事を待たずに続くんですよ。
息子さんの顔は見られなかったけど、
「あぁ、うん」「そう」みたいなことしか言ってない。
きっとうるさいなぁって思ってるか、恥ずかしいなぁって思ってるか…
(年頃の男の子でしたが、慣れっこなのかキレてる様子もない)

わからないけれど、この数分ですら私はもう疲れてしまった…
自分の目の具合が悪くていったのだけど、心まで疲れてしまった。
(勝手に疲れてその親子には申し訳ないけれど)

ただ、大なり小なり、こういうシーンはよく見かけるんですよね。
小さいお子さんに対して、お母さんがあれこれと世話を焼いたり
「あれしたの?」「これしたの?」「自分でやらないと!」「どうしてこうしたの!」と言ってしまう。
(ほんとに理由聞きたいと思ってる?だってこうだから、と理由を話してもキレてしまうことない?私はある 笑)

あ、これはお説教記事じゃないんです。
私もそうだったから…お説教なんてできません。
ただ、振り返って思うことは、
「別にそんな言わなくてもよかったな」ってことばかりでした。

「いつかできるから大丈夫」って話につながるのではないのです…
真逆の記事です。

「できないものはできない」
「やりたくないことは続かない」
「やりたくないことを続けるエネルギーはやりたい事に注いだ方がいい」

こんな身も蓋もない話です。笑

やりたくないことを一生懸命やることって
すごい美徳化されていますが、
多分限りある時間の中でもったいないことだらけだと思うんです。

忍耐力とか、粘り強さとか、そういうものが無意味ということではないです。
ただそれをどうしてやりたくない事、苦手なことで補おうとするのか、ということが疑問で。

「何かができない」→諦めずにやる→「忍耐力がつきました!」

という構図は、ぜひ、「好きなこと」でやって欲しいんだよなぁ〜って
常々思っています。

閑話休題

今ふと思ったのが、私は縄跳びが苦手だったんだけど、
どうしてもみんなに追いつきたくて頑張ってたんだよね。

こういうの動機はもちろん大切にしたいと思うんだけど、
できない人がだめ、みたいな構図がもしなかったら、私やったのかなぁ?

「縄跳びができないのはあなただけ、恥ずかしいから頑張ろう」みたいな構図がなくて、
「縄跳びができなくてもあなたにはこれがある。素晴らしい」って言ってくれて、
周りのみんなも、「僕はこれはできないけどこれができる、素晴らしいんだ!」って本気で思っていたらどうだったんだろう?
私は縄跳び頑張らずに、好きな事を誇れる自分になっていたのだろうか?
(お絵かきが好きだった)

話は戻ってこの高校生親子、具合が悪かった私には、お母さんが、強烈過ぎましたね。
でも一歩間違えると自分もあれこれうるさく言ってるので、
人のふり見て我が振り直せ、って事だと思い、記憶しておきます。

では。