続・ノーマの幻想
以前、平均思考についての雑学という記事でノーマの幻想というお話をしました。
気になる方はこちらをご覧ください。https://neirokirara.com/0501-3/
読む時間のない人のために、一言で言うと、
「平均的な数値」に自分を当てはめることも、他人を当てはめることもとても難しいと言うことなのですが、それでもみんな「平均的」であろうとするし、
「普通」(=平均的)であろうとします。
なぜか。
平均的であると言うことは「安心」だから。
突出することは悪目立ちするから。
なんなら多数派でいたい、苦労したくないから。
なぜ「続・ノーマの幻想」を書こうかと思ったかというと、
積み木の活動をしていると何度となく聞いてきた
「1歳半検診、積み木の問題」というキーワードが
もうやり過ごせないくらいしんどくなってきたのです。
ご存知の通り、自治体によっては積み木をいくつ積めるかといったチェックをするようです。(10年以上前の長男の時もあったかな…次男の時はもはや記憶なし)
これが積めたから、定型発達ですとか、
また積めないからといって、「障害児かも」「発達が遅い可能性がある」と不安になることを令和だしもうやめてほしくて。
チェックするくらいだから、可能性はあるのだろうし、チェックされたらそりゃ気になるけども…
だから、練習するとか…もうやめてください。
積み木をそういう対象にしないでください。
積み木に意義を求めないでください。
100歩譲って、「1歳半検診に積み木の問題あるらしい」という不安からね、積み木遊びを始める…そういうきっかけがあってもいいかもしれないけども、
お子さんと遊ぶときに、そういう視点を介入させないでください。
楽しんで。まずは自分が。そして一緒に。
平均的なノーマがいないように、あなたのお子さんは平均的な誰かより、個性的な一人だよ。
伝わるかなぁ。どうか伝わって。