ー当事者さんとの心揺さぶられた話ー
今日、ある打ち合わせで出会った方が「大人になってから診断された当事者」さんだったのですが、とても心揺さぶられたことがありますので記事にします。
打ち合わせ中、さらりと「ADHDって大人になってわかって…」とおっしゃられて、幼児期の話を伺いました。
その中で、「薬がないと、社会生活を営めない。」「薬を忘れた時のほうが、感情、感性が豊かになる」とおっしゃていて、(要約しています)
「薬を飲んで社会に適合する」仕組みってなんなんだろうって本当に残念に思いました。
世界は多数派が生きやすいようにできていて、それから外れるものは薬を飲んで適合する。
薬を飲まなければ得られる素晴らしい感性とひきかえに。
我が家は長男がADHDとASD傾向があり(こう書くたびにもうなんだっていいやって思ってるんですが)やはり薬を飲んだ時は別人でした。
別人で、周りにとても褒められた。
「みんなと同じように動けています!」「準備も素早くなっています!」「これで本人の自己肯定感が上がったらいいなって思っています!」ってね。
結果、上がるどころか、「周りが見えすぎてつらい、しんどい」と言って薬をやめました。
ぼやけていた世界がクリアになり、クリアになったはいいけど自分ではどう対処したらいいかわからない事ばかりで、ぼんやりした世界で生きていたかったようです。
ぼやっとしていて困っているのは周りの方。
これは発達界隈ではよく聞く話ですが、
「多数派社会で無理しなくたって、生きていけるよ!あなたはあなたのままで、素晴らしい!」
こんなふうに言える大人でなくてはならないと思います。
ニューロダイバーシティな世界はすぐそこだよって言える大人、言えるアトリエでありたいです。